「楽山大仏」
1994年9月に,第4回日本・中国合同皮膚科学術会議が四川省の省都,成都において開催された。この成都から西南へ164km行った所に楽山(らくざん)があり,ここには摩崖仏(まがいぶつ)の中では規模は世界一といわれている楽山大仏が鎮座している。摩崖仏とは,自然そのままの岩肌に直接,彫られた仏像のことである。仏教美術を知るまたとない機会と考え,日本ではまだ余り知られていなかったこともあり,学会中のオプショナルツアーを利用し,この楽山大仏を訪れてみた。
早朝,成都を出発してバスで約5時間。楽山市は古くは嘉州と呼ばれ,四川盆地の南西部,岷江(びんこう),青衣江(せいいこう),大渡河(だいとが)の3つの川の合流地点にあり,「峨眉天下秀楽山天下奇」といわれる景勝地である。四川省北部の大雪山に源を発する岷江は大量の雪解け水をともなって,南に流れ下ってくる。成都平原に入り,楽山の近くまでくると,岷江はもう大河となっている。ここで岷江は青衣江,大渡河と合流するため,水量は豊かで,水の流れは激しく,船が沈んだり,増水してあふれだしたり,水難事故が途絶えることがなかった。
唐の玄宗皇帝の時代の713年(開元初年)に,凌雲寺(りょううんじ)の僧,海通(かいつう)は水害を鎮めるために大仏の建立(こんりゅう)を思い立ち,人を集め,物資を募った。しかし,工事は中断し,その後,唐の徳宗の時代の803年(貞元19年)に,剣南西川の節度使・韋皋(いこう)によって完成されたが,実に延べ90年の歳月を要した。
完成当初は全身を金色(こんじき)と彩色装飾がほどこされ,また,七層で屋根軒は十三重の木造楼閣で覆われ,顔だけ露出していた。この建築史上,稀にみる窟檐(くつえん)建築は,大仏閣と呼ばれていたが,明代に焼失してこの巨大な弥勒菩薩像だけが残り,1200年経過した現在も岷江の流れを静かに見守り続けている。楽山大仏がある凌雲寺は仏教の禅宗寺院で,別名,大仏寺とも呼ばれている。岷江東岸にある凌雲山全体に,天王殿,弥勒殿,大雄殿などの仏閣が点在している。その建立は唐代にまでさかのぼるが,現存する建築物は明・清代に再建されたものである。
大仏が背にしているこの凌雲山は,隋,唐の時代から景勝地,仏教聖地として有名だったところである。凌雲山は9つの峰を持っているが,それほど高い山ではない。最高峰でも平地からの高さは140m余りでしかない。しかし,その峰は錯綜し,木々は緑に繁り,上から望めば雄大な3本の川を眺めることができ,遠くには峨眉三峰も目前に迫る。楽山大仏は岷江の南岸,凌雲山棲峰(せいらんほう)の川岸に臨んだ崖に彫られたもので,楽山の町とは川を隔てて向かい合っている。滔々(とうとう)と流れる川の水を前にして,この仏像はいかにも泰然とした表情をしている。大仏の正式名は凌雲大仏。山西省大同の雲崗石窟の最大の大仏の4倍で,座像の高さは71m,肩幅28m,頭部の高さ14m,頭部の直径10mという巨大さで,頭の天辺(てっぺん)にある螺髻(らけい)(巻き貝のように束ねたもとどり)は一つひとつが大きな丸テーブルほどもある。耳の長さは7m,鼻の長さ5.7m,眉の長さ5.5mといった具合で何もかもが大きい。耳にも穴があけられていて,頭部だけでなく,ここからも排水される。この排水機能を備えていることにより,仏像の汚れや腐食などを防ぐようになっている。それでも顎や首まわりは,風雨にさらされたせいか彩色が落ちて黒ずんだ状態となっている。
仏像の脇には曲がりくねった細い桟道があり,川岸に下りることができる。絶壁に造られた階段で,足元がすくむ思いがする。途中で何度か止まり,仏像を見る。お腹のあたりをみていると,全体的に黒ずんでいはいるが,黄色や金色が島模様になって残っている。かつては,さぞかしきらびやかだったことであろう。この仏像は,日本では余り見られない座像であるので,膝の上に手を置く格好になっている。この仏像を見た人は誰でも思わず,何と大きな仏像だと感嘆することであろう。しかし,顔の表情はおだやかでありながら親しみがあり,ユーモラスな感じさえある。大仏の周囲は木々の緑に包まれ,ゆったり座る姿は雄大であり,大きなもの,ゆったりしたものを見ているだけで,心が安らいでくるようだ。「山は仏,仏は山」ともいわれ,何事ににも動じない大らかさがそこにある。中国の昔の彫刻師たちがこの大仏を設計し,造った時の偉大な気迫と知恵に,今さらながら感嘆,敬服せざるを得ない。大仏は腰を下ろしたような格好で,下肢も巨大であり,片足の甲には100人が立てる大きさがある。指趾爪甲の形も見事な出来映えであり,石刻座仏でこれ程,爪甲をリアルに表現している大仏は他には見られないのではないかと思われる。足元に立つと,改めて大仏の巨大さが実感できよう。足で岷江を踏みしめるように座る全体像は,余りにも大きいので,楽山港から出る船に乗って川から見るとよい。
川の水が氾濫するのを鎮めるために造られた大仏だが,現在もまた,年々,水かさが高くなってきたため,足元まで浸水してきている。なお,この楽山大仏は,近郊にある峨眉山とともに,1996年に“自然と文化遺産”として,ユネスコの世界遺産に登録されている。他に類を見ない巨大な石彫仏像である楽山大仏。綿々と受け継がれてきた仏教に対する深い信仰心がそこにあり,奥深い中国の歴史に興味は尽きないことが実感された。
(小太郎漢方雑誌より転載)
濱田稔夫
◆はまだとしお.医博.大阪市立大学名誉教授,医療法人浜田皮膚科院長.大阪市北区